2015年1月4日日曜日

再び、新年の決意

昨年も同じように、新年の決意を表明しておきながら、たったの5件しか投稿していないことを改めて認識した。だから、今回のタイトルには再びという枕詞をつけた。
今までと比べて格段に投稿が少ない理由は?というと、それは、役職で忙しかったとかなんとかかんとか、別の理由も付けられるが、自分で自覚している理由は、怠慢と老化である。

短くても、書けばまた次につながる。それがわかっていながら、なかなか実践できない、というか、出来なくなってきている。ちょっとだけの短いコメントがなかなか書けない。それを怠慢というのであるが、怠慢になった理由をさらに考えてみると、どうも老化がありそうである。老眼鏡を掛けないと、画面の字がはっきり見えない。これは最近顕著になってきた。また、気力が薄れてきたということも、明らかに老化が原因であろう。昨年の新年の決意を見ると、えらい張り切ってはるねえと思う。これが同じ自分か?なぜ張り切れない?そういえば、このブログの姉妹ブログともいうべき、「私の読んだ本」(リンクはこのサイトにあります)にも書かなくなってきた。本を読んでも、ブログに感想が書けるほど、はっきりした印象が残らない。ここで、それが定着すると、ぼけ老人まっしぐら。その点はわかるのであります。

いよいよ来年年男。老人まであとわずかの猶予と考えよう。いろいろなチケットが安くなるなんて、くだらないことを楽しみにせず、死ぬまでふるさと納税のお礼の品をもらうことを目標にした方がよっぽど生産的だ。

そのためにも、今年は新しいことを始めたい。今しなければ、いるやるのか?ぼやぼやしているとあっという間に高齢者。今まで、何でも定年になって暇になってからやればいいと、高をくくっていたが、どうも、肉体的・精神的な衰えはそれを超える勢いでやってくるように感じる。もっと設定を早い時期にした目標が必要なようである。

さあ、結論に入ろう。60歳になるまでにベンチャービジネスを立ち上げる。そのための本格的なスタートを切る。これを目標にこの1年やっていこうと思う。

どうです?応援してくださいね。

2014年8月28日木曜日

デング熱とは!

いや、驚きましたね。デング熱は熱帯地方の、衛生状態があまりよくないところでしか罹らないと、何かの本に書いてあったから、シンガポールなどでもマラリアとデング熱は大丈夫と思って今まで行っていたが、なんと東京のど真ん中・代々木公園が感染源とは!
これも、異常な暑さのせいでしょうか。
そのうち、マラリヤも入り込んできたら怖いな。

日本人浮かれすぎ!

書店に行くと、日本の良さを褒めちぎった本が並んでいる。テレビを見ても、日本に来て、いろいろな日本の良さに感動した外国人の取材が盛んに行われている。
そうか、日本でこんなにいい国だったのか。今まで、英語も下手で、体型も見劣りし、いいところないって思っていたが、それは全部間違っていたのか。

なんか、最近こんな感じがすることが多い。そして、ネトウヨはますますそれをいいことに、つけあがっている。

でも、本当にそうなんですか?と問いたい。確かに、和食や日本の食事はすばらしい。日本の銭湯もきれいで気持ちがいい。日本のホテルは安くてきれい。日本の宅配システムは世界一。日本の新幹線は速くてしかも時間に厳密。

それは、全部そうです。そうした、日本のすばらしいところが最近見直されてきたのは、大変良いこと。しかし、
・日本の学生はなぜこんなに勉強しないのか。外国の大学にいって、キャンパスを回ってみるだけでもその違いは明白だが、さらに、学生と話をしてみると、興味のレベルが天と地ほど違う(日本が地)。
・外国に行って、感動の涙を見せる人がこんなに多い(うるるん何とかというような番組を見ると)ということは、日本の日常生活があまりに貧弱ということ。挨拶はしない。路上や電車の中で何かあっても、見て見ぬふり。外国の家庭に入り、ごく普通のことをしてもらっただけで泣くのはいかがなものか。
・家庭の教育が崩壊しているような様子。少数とは言えない学生は常識がなく、字が読めない、ニュースを知らない、手伝いをしない、気がきかない、ないないづくし。
・自分の感情を適切に表現する手段を持たず、限界を超えるといきなり暴力的な方法に訴える。私が学生時代は、下宿の友達と夜を徹して人生を語っていた。語りすぎていたような気もするが、ともかく、良く会話をした。いま、大学ではコミュニケーション能力を高めるために、いろいろなことを手取り足取り教えるが、そういうお膳立てがないところで、コミュニケーションをする方法を模索することが、コミュニケーション能力を高めることになるのではないか。
・そして、自己の目標を持たない人たち。「何のために就職するのかわからない」なんて言う学生があるが、それで就活がうまくいくはずはございません。

これらに共通しているのは、「不勉強」というキーワードだろうか。それでなくても、少子化。これで質が落ちたら、トータルの国力は目を覆うばかりの惨状となるだろう。昔の日本人はもっと勉強をよくした。

2014年7月13日日曜日

まー君の謝罪について

田中将大氏がけがをして、しばらく投げられないのは大変残念なことである。もちろん、彼も同じだろう。
大きな期待を背負っていたのに、期待に当面応えられない。どうするか?謝罪する。これは日本人の普通の行動だ。彼も、そういう気持ちで謝罪したに違いない。しかし、アメリカでは、スポーツ選手が故障したときに謝罪するのは珍しいといって、物議を醸しているらしい。

これは、文化の違いだ。日本人は、ちょっとしたことでも、誰かに迷惑をかけたら、それが自分のせいであろうが、他の要因であろうが、謝る。この違いを他国が知らないから、国際的な問題も起こる。まー君には、日本流にやってもらいたい。それによって、日本人の感覚を大いにPRしてほしい。これこそ、日本人が国際的に活躍できるための大きな貢献だ。
考えてみると、彼はもともと関西人。関西、特に、京都、滋賀方面では、人と会うときにはまず「すんません」から始まる。何が悪いのか、はっきりしないが、自分ごとき人間にわざわざ時間を作って会ってくれるということを謝っているようにも思うし、そうでない、単なる習慣とも考えられるが、まずすんませんと言われたらケンカも起こらないだろう。関西にはそういう土壌がある。

今まで外国に出て行った日本人が外国人のように振る舞うことを是として、一生懸命に日本流を否定してきたことが未だに日本が国際的な場で窮屈な思いをする原因になっていると思う。

福澤諭吉らは咸臨丸でアメリカに行ったときは着物だったと思う。でも、アメリカで、大いに尊敬されたと物の本に書かれている。是非そういう気持ちでやってほしい。

2014年2月15日土曜日

大雪は誰が悪いのか?

西日本では大したことはなかったが,関東では記録的な大雪になった今回の天気である.
高速道路に長時間閉じ込められて,大変だった人もあるようだ.
http://www.asahi.com/articles/ASG2H51J9G2HUTIL02R.html?iref=comtop_6_01
予想を超えた雪の量だったということなので,予想外のアクシデントだっただろう.
しかし,こういうことがあると,毎度のことだが,職員に詰め寄る人がある.今回も,簡易トイレや食料をもって来た職員に詰め寄る人があったらしい.
>簡易トイレや食料を配布しに来た中日本高速の職員に詰め寄るドライバーもいたという。

ちょっと待て.誰が悪いのか?大雪が降るという予報は数日前からあった.西日本に住んでいる私でも,知っていた.それなのに,高速道路に入ったのは誰なのか?
予想がつかなかったことを認めるとしよう.しかし,職員が悪いのか?そんなはずはないだろう.逆に,簡易トイレや食料をもって来てもらっただけでもありがたいと思わなければならない.


2014年1月2日木曜日

新年の決意

2014年、平成26年が明けました。読者の皆様、今年もよろしくお願い致します。
昨年は、あまり熱心にブログを更新しませんでしたが、新年こそ、今年の決意を新たにすることが出来るときであり、今年は毎月5本を目指してブログを書いていきたいと思っています。読んでいただける方には、お付き合いの程、お願い致します。

今年は午年。ということは、2年後の申年は私が年男になり、還暦を迎える年となります。私は、10年ほど前までは若者に属すると考えてきただけに、ここ数年、老人の仲間に入りかけてきたことを実感するにつけ、一気に精神的に年を取ったような気が致します。それは、体力的な衰えもあり、見かけも(特に頭部は)次第にそういう風になってきていることもあり、やむを得ぬ事とは思いますが、あまり心地よい事ではありません。

そうはいっても、そろそろ老後の人生の送り方を考えなければならないことも事実でしょう。老後、どういう人間を目指すのか、それは今考えておかないときっと手遅れになると思うのです。
私は写真撮影が趣味です。そして、画像処理を、研究の一部としています。そこで、私が出来ることは、科学的なセンスに富んだ芸術的写真に挑むことです。これが1つめ。そして、2つめは、コンピュータのプログラムを作れる老人を目指します。少々のプログラムなら、ボランティアでさっと作る。こんなことをする老人はあまりないでしょう。そこから、社会への貢献を目指したいと思います。年寄り扱いを期待するような老人にはなりたくありません。そのためには、常に若い人よりも体力的に勝っている事も必要です。
今年は、そのような老人になるための準備の開始の年にしたいと思っています。 皆様からのご助言もお待ちしています。

2013年10月4日金曜日

物言わぬ人

このタイトルを見て、何の話だろう?と思ったかもしれない。別に死んでいる人とか、どうのこうのということではなく、文字通り「ものを言わない人」のことについての所感である。

同じマンションに住んでいて、エレベータに二人きりになるのに、何も言わない。私の所属する学科の学生で、朝すれ違うのに、うつむいて気づかないふりをして通り過ぎる。いや、うつむかなくても無視される。学生実験などのグループ学習で、朝、部屋に来る決まったメンバーが、後から入ってきて何も言わず座る。

非常に居心地が悪いのだが、相手は何も思わないのだろうか。私は、学生以外の人には最終的にはこちらから挨拶をするので、無言のまま通り過ぎることはまずないが、まあ、社会通念からして、あちらから挨拶があってもいいと思うような場合が多い。たとえば子供。子供は、こちらから挨拶しても無言の場合が結構ある。最近の子供は、同じマンションであっても、よその人とは口をきかないように親が指導しているのだろうか。これは、勘ぐるわけではないが、小中学校で校門指導と言って、先生が愛想よく挨拶をして、子供たちはそれを聞き流して通るというような光景を見ることがあるがその影響はないのか。街角で、不特定多数に挨拶を大声で掛けるのの影響ではないのか。

学生とすれ違うときは、こちらからいうのも癪なので相手から言ってくれるのを期待するが、まあ20%以下というところだろう。見ていると,学生どうしでもほとんどしていない。その証拠に、ゼミ配属された学生同士、最初に集まった日に、お互いに知っているかと言えば、半分以上の学生が、話したことはないという。

私が学生時代は、同じ学科のものどうし、話をしたことがない学生はまずいなかった。先生とすれ違う時は、たいてい「おはようございます」、「こんにちは」と言った。気づかない(ふりかもしれないが)先生の場合も、頭を下げて会釈した。本当に気づかなかった時以外は挨拶をしたものである。

どうも挨拶だけではなく、あらゆる場面で他人と話をすることができない人が多いように思える。 一声掛ければ穏やかに済むことが、声を出さないばかりに、とんでもない争いになることも多い。

これはどこの国でもそうか?というと、そうではない。アジアの国、シンガポールや香港などでは同じような感じを受けることも多いが、ヨーロッパでは違った。私が住んでいたオーストリアでは、エレベータや階段などですれ違う時には必ず挨拶が飛んできた。狭い通路で、お互いにものも言わずにすれ違うということはあり得ない。そういう文化からか、たとえば、行列の最後尾に並ぶときやエスカレータに乗るときなど、他に同じくらいの距離でそこに向かっている人がいたら譲るのが普通である。日本では、足を速めるのが普通。ちょっと譲って、「どうぞ」とでも言って譲ったら、喜ばれるのに。